Re:金魚至高

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東日本大震災から数日

驚天動地とはこのような事を指し示す言葉なのだろう。
阪神淡路の大震災、新潟中越地震、奥尻島沖の地震など数多くの震災があったが
並び比較されて尚、大小差はない。
どれもが大きな災害であり痛ましい。

まずは、被災された方々、援助スタッフ、支援各国にお礼とお見舞いを申し上げます。

-震災当日-


休日だったのでヘッドホンを使ってPCで音楽を聴いていたところ
何やらめまいを感じ、横になろうかとヘッドホンを外した瞬間

ガタガタガタガタ
家が揺れてる?
めまいじゃないっ 地震だ!

そう気づいてから少し静観し、体内感覚で震度を測ろうとした所、
何か奇妙な感覚に襲われた。

   ここにいてはいけない

すぐに身の回りの貴重品を持って外に出ようと玄関へ
幸いにも玄関隣のリビングにいた為、数歩でドアにたどり着ける。
この地震の大きさでドアが歪んだらまずいと思って、ドアを開けっ放しにして外に出た。

目を疑う光景がそこにはあった。
周りの家が、木々が、車がものすごい勢いで左右に、そして上下にと揺れている。
私の第一声は、

「何だこれはっ!」

後で思えば、単純だがその言葉通りの気持ちだった。

とても長く、大きく揺れてようやく地震がおさまっていった所で
近所から続々と人が外へ出てきた。

「大丈夫でしたか?」
「えぇ、大丈夫です。 大丈夫でしたか?」
「はい、大丈夫でした。」

家の中の物が散乱して大丈夫じゃないとか、そういうレベルの会話ではない。
誰か怪我された方いますか?という人の命を心配する掛け声だった。
ご近所の高齢者世帯へ近所の方と向かい、その安否の確認をする。

割れたガラスで怪我をしていたが御身は無事のようでほっと胸をなでおろす。

私は、昼間仕事をしている身で自治会などには縁が遠い。
でも、少ない機会でも会えば挨拶はしてるし立ち話もする。
徒歩圏内ではあるが、分かっている限りで家を回ってみたが、どのお宅でも無事との返事。

とりあえず一度落ち着こうと自宅へと帰ろうとした所、
近所の家の飼い犬が外へ飛び出してきて一目散に駆けて行き、買い主がそれを追いかける。
逃げて行ったと言った方が正しいのかもしれない。
例え犬であっても猫であっても、あの激震では驚いて当然だと思った。

自宅の玄関を開けっ放しにしてた事を思い出しすぐに帰宅したが
我が家の被害もすぐに見て取れる。
玄関から流れ出る大量の水。

水?と最初は思ったがすぐに気付いた。

そう
90センチ水槽が完全に崩壊し、水が2~3cm程しか残っていなかった。
中にいたはずの金魚も見当たらない。
すぐに庭に出て確認したがどこにも見当たらない。
2日経ってドブの中で死んでいるのを確認した。

絣系の東錦という触れ込みの琉金達
練習用の土佐錦魚5匹とおばこさんから購入した土佐錦魚の容器が
置いてあった場所から横滑りして落下したようで、その場で息絶えていた。

助けてあげられなくてごめんね。

家の中に舟を設置していたが、大きな横揺れで水位は半分以下にまで下がってる。
舟の中にいた金魚はどうやら無事のようで少し安心した。

近所の駆けて行った犬と違って、逃げる事もできない金魚だけど、

「お前ら よく無事だったなー」

と声をかけながら覗き込んでいたら
餌ちょうだい~って寄ってきたのを見て
少し緊張が緩んだ。

改めて家の中を見渡してみると、
廊下はびしょ濡れで足の踏み場がないほど散乱し、何より奇妙な静けさも手伝って
その場で暫く立ちすくんでしまった。

震源地はどこ?
震度は?
この家の中の惨状、どこから手を付ければ良いんだ?
弟らは無事か?
職場はどうなってる?
買い出ししないとヤバイ?

など一瞬で頭をよぎったが
直観的に、床の水をバスタオルで吸い取らせつつ
買い出しに行こうと思ったのが、地震発生から1時間経った頃。
まだ大きな余震もきている中で。

たった1時間されど1時間。
買い出しするには早いと思ったが、実はかなりの出遅れであったことを痛感する。
近所のスーパーが真っ暗の中、既に50人近い人が並びレジを待つ光景。
実はここで初めて停電している事に気付いた。
家が奇妙に静かだったのはこれかと。。
まさか漏電したのか?と不安になったのを覚えている。
停電でレジが使えず、電卓計算している店員がいた。
即席麺やペットボトルなどを手に取ったお客さんを見て、買うのを諦め帰宅する。

今では、買いだめしないようにと政府も訴えているが
これが人の本能なんだなと思った。
たった1時間で50人以上。
しかも地元の人しか行かないような小さなスーパーに。。

生存本能がなせる業である。

スーパーからの帰宅後
停電していたのでまずブレーカーを見たが落ちていない。
舟や水槽の水が電源部にかかって漏電した為ではないと分かってほっとする。
いつ電気が戻ってきてもいいようにと、とりあえず一度ブレーカーを落としコンセントを抜いて回った。

携帯のワンセグでニュースを見て、栃木県宇都宮市は震度6強だと分かった時は

「はぁ!?6強って何?」と呟いた。

震度5すらまともに経験してないのに、6な上にさらに強いとか。。
地震後、外に避難した時に、家や車がガタガタ動いてたのを思い出して少し納得した。
弟の安否を確認する為電話してみたが、お約束というかやっぱりというか。
つながるわけもなく、とりあえずメールを送ってみた。
送信しましたと表示されているが恐らく届かないだろうと思いながらも。。。

床の水を全て拭き取り、とりあえず足場を確保、割れた食器を片づけ、冷蔵庫内の消費期限を確認、
食糧が買えなかったとして何日は生きられるとか変な計算までし始めてばかばかしくなってやめたり。
弟らと連絡が取れたのは翌日の朝だった。


-震災後-


「命」の心配をしたのは初めてかもしれない。

各局見て回ったが、何より身近なことを多く伝えてくれる地元TVが一番でした。
宮城、岩手、福島など津波の被害もひどく亡くなられた方、行方不明の方が特に多い地域。
特に知り合いがいるわけではないが、知り合いがいるからとかそういう感情は微塵もなく
ただただ、少しでも多くの「命」が助かりますようにと心から願った。

納得がいかなかったのは、相当な被害があった茨城はほとんど取り沙汰されていなかったこと。
原発の問題が焦点となってる今は分かるが、差がありすぎないか?と感じた。

諸外国の日本大使館の前に献花に訪れる方がいるニュースを見て、思わず涙が出た。

「子供を亡くされた母親の姿を見て、私も泣いてしまいました」

とドイツの方のコメントを見て
この震災を、世界中の方が見て聞いて心配して泣いてくれる。
とても悲しく、とても酷い震災があってから
初めて世界中からの優しさに触れたと思った瞬間、涙が止まらなかった。

支援表明する国、国際機関などがどんどん増えて行くのを聞いて
本当にありがたい
強くそう思った。

避難所などにTVが入り、避難者がTVを通じて呼びかける。

「○○、生きてるか?」

その言葉はとても重い。
大丈夫か?ではなく生きてるか?と呼びかける人があまりにも多かったのに気づく。

大丈夫か大丈夫じゃないかではない
生きてるか死んでるか
その2択

元々涙腺がゆるいわけではないが、涙がでて仕方がない。
20m級の津波に飲みこまれ、後に残ったのはがれきの山と町であっただろう残骸。
そこに住んでいた人々が、それを目の当たりにすれば当然の感情なのかもしれない。

日本から笑い声が無くなったのではないか?とさえ思える。

でも、大丈夫。
人はそれでも乗り越えまた笑顔になれるはずだから。
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2011.03.18 21:05 # [EDIT] 返信

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